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2003年10月9日(木)
みやち治美さん
鳴滝山城主、宮地一族の末裔で版画家・詩人
 「3R2分59秒の青」出版
   瀬戸田でドーム完成までの独白

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本の表紙みやちさん
 

 アメリカでの10年にわたる生活に終止符を打ち、3年前に瀬戸田町に移り住んだソーラー版画家で詩人、みやち治美さん=写真=が瀬戸内海の空と海の青さを追求した詩写真集「3R2分59秒の青」を出版した。版画家、詩人、ボクサーと多彩な顔を持つ、みやちさんが少年のような感性で自由闊達に言葉を紡ぎ、表出する青の世界は林芙美子が抱き続けていた尾道水道の青に相通じるところがあり、興味がつきない。


 室町時代の鳴滝山城主、宮地一族の末裔で宝塚市生まれ。日本人として初めてゴヤ、ダリなど世界的な著名な画家を輩出したスペイン・サンフェルナンド美術学校で油絵を専攻。帰国後、デザイン事務所を開設、象印マホービンをはじめ一流企業の商品デザインを手掛け活躍。


 90年代、長女と2人でアメリカ・カリフォルニ
ア州、ロマリンダ市に移住。渡米中、大学で紫外線を活用したソーラー版画を研究開発、メキメキ頭角を現し、全米アートコンクールで相次ぎ入賞。大学では講師を勤めていた。
 長女が高校を卒業、独り立ちしたのを見届け、00年に帰国。江戸時代、世界の絵画に大きな影響を与えた浮世絵版画を現代的なソーラー版画で復興しようと夢と希望を抱き、太陽が燦々とふり注ぐ生口島を制作拠点に選び、移住してきた。


 ドーム型アトリエを建てようと役所に建築申請すると前例がないとの規制一点張り、持ち前の負けん気と知恵を絞りクリアーすると今度は元請けが手抜き工事と資金の持ち逃げ、心の支えで伴侶とまで思っていた愛犬の死。全く見ず知らずの異郷の地で孤独と絶望にさいなまれながらも、自らを奮い立たせるように因島市の地域新聞「せとうちタイムズ」に毎週、詩を寄稿してきた。


 ドーム建設は瀬戸田に来て知り合った友人知人や建築資材を購入したアメリカの業者が来日し協力、温かい人とのふれあいのなか完成にこぎつけた。


 詩写真集「3R2分59秒の青」は瀬戸田に移住、悪戦苦闘しながらドーム完成までの青春独白を25編の詩にまとめたもの。全ての詩の題名にコンセプトとなる青の冠名詞がつけられている。


 詩集の表題「3R2分59秒の青」は毎朝、隣の高根島まで往復7キロを走り、厳しい練習を重ねている4ラウンド女性ボクサーとして、相手と刺し違える死の戦慄を小気味のよい文体でつづっている。


 「青い影(送り火)」は瀬戸田港で盆過ぎ、行われる灯龍流しを幻想的に描き、「青いぽったん」は海に落ちた月をイルカと一緒に美味しそうに食べてしまうユーモア溢れる作品。著者の一番のお気に入りはプロローグ「二十歳の独白」に通じる「青い独房」。


 特筆は英語と日本語で掲載されている「八月六日の水道」。被爆し負傷しながらも人力でポンプを動かし水を送り続けた広島市水道局員を題材にした詩でアメリカ国立図書館主催のコンテストで審査特別賞に輝いた。前年、米国スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展が退役軍人の圧力で中止になったのに怒りがこみ上げ応募。ポツになるだろうとの予想を覆し受賞。翌97年8月6日、広島原爆慰霊祭でこの詩を朗読した。このほか97年、98年と連続して全米ベストポエムに選出されている。

 

 元日本現代詩入会会長、長谷川龍生氏は「一人の少年の瞳孔の奥の彼方に、『青』の謎めいたイメージが幾重にもかさなり合って、千枚めくりのようにつぎからづきへと描き押し出され、大きな氷山と波濤のぶつかりあいになって、みやち治美さんの美意識を揺さぶっている。かぎりなく『白』にちかい『青』。『青』は天の指図をうけて、彼女の中に棲みついている一人の少年を、エネルギーもろともに、みちびき出している」と遊撃性に富み、少年のようにひたむきでロマンチックな、みやちさんの詩の本質に言及している。


 万葉集に親しみ、小学生から詩作をはじめ、詩集は「夏至祀」、「いんであんさまあ」、「いんであんさまあ そのに」に続き4冊目。
 ソーラー版画の復興、それにスペイン留学時代に置き去りになった映像の世界までたどりつきたいと言う。


 「この詩集は瀬戸内海の青から生まれました。小島でドームを作るまでの熱い想いを20歳の4ラウンドボーイの視点から見つめた作品です」
(みやちさん)。


 定価は1800円プラス消費税。県内の啓文社各店で販売している。