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山陽日日新聞

2004年4月28日

 

 


 

ソーラー版画家、みやちさん講演
 

ボクシングは「元気の素」
 

「8月6日の水道」原爆慰霊祭で朗読
 


老人大学入学式


 室町時代の鳴滝山城主、宮地次政の末裔で日本人初のソーラー版画家、詩人、現役ボクサーと多彩な顔を持つスーパーウーマン、みやち治美さんの講演が21日午前、公会堂で行なわれた。
 約1000人が参加した市社協老人大学入学式で「ボクシングは元気の素」と題した記念講演をした。
 みやちさんは20世紀最後の10年間暮らしたアメリカで体得したソーラー版画をかつて世界を風靡した浮世絵のような日本芸術の核にしようと帰国。頭のかたい役人と悪戦苦闘しながら規制をはねのけ、移り住んだ瀬戸田にドーム型アトリエを自力で建設した。
 女性現役ボクサーとしてリングに上がり、その独白をまとめた詩写真集「3R2分59秒の青」を昨年出版。世界タイトルに挑戦するボクサーがドームでキャンプを張ることになっている。
 ソーラー版画は瀬戸だ中学校の生徒を対象に非常勤講師となり指導、このほどプロモーションビデオが完成、講演会場で流された。生徒達には「世界の現代アートの殿堂、ニューヨーク・メトロポリタン美術館で展覧会を開こうね」と大きな夢を描いている。
 瀬戸内海の空、海の”奇跡の青”に魅せられる、みやりさん。11〜12月にかけて福山、しぶや美術館で開く個展に向け創作活動に余念がない。母親治子さんの戸籍が土堂町で菩提寺、玉林寺のある久山田町史の編纂に携わった。

◇尾道市民になりました◇
 講演要旨は次の通り。
 入学おめでとうございます。このおめでたい日に瀬戸田町民から尾道市民になりました(大きな拍手)。宝塚生まれの私が何故、広島県にいるのかというと、それには深い訳があります。
 91年、娘がいじめに遭い電車につきとばされ、上顎骨折半年の重症を負いました。親としてショックで学校に文句を言いに行きました。しかし、いじめは本人に責任があると転化され、頭に血がのぼった私は娘と一緒に外国に行くことを決心しました。
 イギリス、カナダなど英語圏の世界中の国に手紙を出し、一番最初に返事があったのがアメリカ・カルフォルニア州ロマンダ市でした。ベジタリアン一色で敬虔なキリスト教の町。モーゼ十戒を実践している戒律が厳しい、そういう所だからこそは母子家庭でもOKだったんです。犯罪は皆無でアメリカで唯一、警察のない町で、そこで子どもと私はスクスクと暮らしていました。

◇アメリカで原爆の詩が審査特別賞に◇
 広島と長崎両県がニューヨーク、スミソニアン航空宇宙博物館で原爆展を行う企画が持ち上がりました。当時、クリントン大統領の対抗馬、タカ派のドール氏が強引に辞めさせました。私は被爆2世で怒りを覚えました。
 ロサンゼルスタイムスにアメリカ国立図書館主催の詩のコンテストの公募が載っていました。原爆の詩「8月6日の水道」を応募すると大学の同僚に見せたら、アメリカではアトミックボムはアレルギーなのよと注意されました。審査員が気に入らなければ捨てて結構、そんな気持ちでだしました。
 ところが何と審査特別賞をいただきました。そのことを広島市に申し上げたら翌97年夏、原爆慰霊祭で私が詩を朗読することになりました。原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録された年でした。

◇個人で初めて、瀬戸田でドームを建設◇
 カルフォルニアで10年、地平線を眺めて仕事をしてきて、次の10年間は水平線を見て仕事をしたいと思い、どこかよい場所はないかと日本中に手紙を出しました。どこも快い返事はいただけませんでした。唯一、中国新聞因島支局長が隣りの瀬戸田を紹介してくれました。
 家は自分で建ててきました。はじめは三角、次は四角、今度は丸い家、ドームにしようと思いました。
 三原の県土木に行くと駄目なんです。日本の建築基準法では柱と梁がある建物以外は建ててはいけない。でも五重の塔は真ん中にピンがあるだけの建物ではないですかと申し上げたら、それは建築基準法ができる前の話しだと言われました。(笑い)。それでもめげずに瀬戸田から船に乗り日参、相手も根負け、日本建築センターがOKを出すなら、許可しましょうと言ってくれた。
 東京の日本建築センターでは個人でドームと建てると言って来たのは貴女が初めてと言われた。役人相手にパネルで丁寧に説明すると態度ががらりと変わり、OKを頂き、喜び勇んで帰りました。

◇4Rボーイとスパーリング◇
 00年、瀬戸田でドームを建てることになりました。解体業、大型重機、大型トラックと資格は片っ端から取得していきました。その費用を捻出するため新聞記事を書いていました。
 日本バンタム級チャンピオンのインタビュー記事を頼まれました。ジムに行き仕事を終えるとコーチがリップサービスでリングに上がりませんかと言いました。私はそれを真に受けて軍手をしてグローブをつけ、スパーリングしてもらいました。それがキッカケでボクシングの世界にかはまり、20歳までの前座4Rボーイとスパーリングさせて頂いている。
 瀬戸田には00年12月18日に引っ越した。夜、御飯を食べようとコンビニを探すのに四苦八苦。
売り切れでおむすびと水しかなかった。帰り道もミカン畑ばかりで1時間近く道に迷いました。わびしいディナーのあと床につくと、床下から「ガオー」と大きな鼾、ホームレスが居るのかとゾッとした。ライトを当てると何とイノシシなんです。イノシシの子守唄を聴きながら眠れるなんて最高だと思いました。

◇瀬戸田中学とソーラー版画の製作◇
 私の相棒は人間ではなく小さな犬なんです。アメリカでカージャックや泥棒に襲われた時、生命を投げ捨てて助けてくれた相棒なんです。その相棒がドームの建築確認がおりた日に殺されるんです。生きる意欲がなくなりました。
 それと建築資金1000円を持ち逃げされるんです。踏んだり蹴ったりの日々が続くなか、ドームはできるんです。
 ソーラー版画は太陽の紫外線を利用して作る版画で今、瀬戸田中学校の子ども達と一緒に活動しています。そのプロモーションビデオが出来ましたので放映します。(ビデオ放送し大きな拍手)。
 ソーラー版画はアメリカでは良く知られていますが日本では初めて、子ども達と一緒に実践、成功しました。この次は尾道の方と一緒にやっていきたいと思っています。
 プレートは日本で開発、東洋紡の光器材事業部という最先端の部署で改良を重ねています。インクもこれまで水溶性インクしか使っていなかったのですが、版画用の初めて油性インクが開発され、面白い展開になってきました(続く)。